Columns

ビジネスの商材にされる「男女平等」

update:2021-04-22

商売道具として有効となった「男女平等」という言葉

ジェンダー論が世の中で注目されていることは、もちろん歓迎されるべきことなのですが、少々首を傾げたくなるものもたまにあります。

「男女差別」や「男女平等」は、社会に高くアンテナを張っている人ほど目に付きやすい言葉でしょう。
そして、それを謳う企業や組織も、意識の高さをアピールできる。
ゆえに宣伝の媒体としても安易に利用しやすい。

ですがそれは、諸刃の剣でもあります。
使い方を間違えれば、自分たちのイメージを悪くすることにも繋がりかねません。

ちょうど、その顕著な例がありましたので、ご紹介します。

下記の広告は、日経が「デザインのステレオタイプを壊せ。」というタイトルの元、世の中で男性に合わせたデザインになっているものを是正せよ、という主旨で、「#平等をデザインしよう」というハッシュタグで訴えているものです。

<画像>
https://pbs.twimg.com/media/E1T8emmVcAEdn9H?format=jpg

<引用元Twitter>
https://twitter.com/nikkei_ad_flash/status/1393015797421776897

主旨そのものには心から賛同します。
男性には気づきにくい、無意識のうちに男性をメインユーザーと捉えて開発された商品が、この世にはたくさん存在するからです。

ですが、この宇宙服の話はそうではない。
虚偽とまでは申しませんが、初見でご覧になった方が安易に信じてしまいそうな内容となっているのです。

どういうことか?

まず、この広告画像の文章を、大きいコピーの方だけで構いませんのでお読み下さい。

いかがでしょうか?
読まれた方の多くは、
「せっかく宇宙に行ったのに、女性に合う宇宙服が用意されておらず、船外活動をさせてもらえなかった」
と解釈されたのではないでしょうか?

ですが、それはかなり事実とは異なるのです。

(続く)

ミスリードを誘導する行為は、平等を謳う者が使うべきではない

これは実際には、2019年に国際宇宙ステーション(ISS)で行われた船外活動(EVA)にまつわるお話で、下記のニュース記事で詳しくまとめられています。

<関連記事>「女性用の宇宙服がない? 史上初の女性ペア船外活動を中止してもNASAが守らなければならなかったもの

問題とされているのは、女性宇宙飛行士のアン・マクレインさんに関する処遇です。

要約すると、この時にNASAは、女性チームのみのEVAを計画していたのですが、

マクレインさんは当初からEVAを行なう予定で、地球でも訓練を受けており、彼女にフィットするよう調整されたラージサイズの宇宙服がセッティングされていた。
 ↓
本フライトでは、この「女性だけ」のEVA計画より前にもEVAがあり、この時すでにマクレインさんは船外での宇宙遊泳を行っている。
 ↓
しかし実際の宇宙空間で使ってみたところ、宇宙服を構成するパーツの一部が、ミディアムサイズの方が彼女にフィットすることが判明した。
 ↓
ミディアムサイズの予備はISSにもあったが、宇宙での調整には時間がかかりリスクも伴う。
このためNASAは「女性だけ」のEVA計画を断念し、その予備のミディアムサイズ宇宙服がもともとフィットする男性飛行士で計画を続行した。

おわかりいただけたでしょうか?

つまりマクレインさんは、
「船外には出られなかった」
のではなく、
「『女性だけ』では宇宙に出られなかった」
というのが正確な話です。

そしてその理由も、より安全な計画遂行を優先するためという、リスク回避の上でのNASAの判断でした。

この記事を書かれた女性の翻訳ライターさんも、自身のTwitterで「事実を確認してほしい」と指摘しておられます。

<関連リンク>
https://twitter.com/ayano_kova/status/1393138338920472576

広告に書かれている「女性チームによる船外活動は夢に終わった」という部分が、「女性だけのチームでない船外活動なら、女性飛行士もすでに行っている」と読み取れる人など、果たしてどれだけいるというのでしょうか?

これでは、平等というものを単に煽り文句として使っているだけです。

ミスリードを誘い、真実を知らない人は不平等に怒り、真実を知った人はその小賢しさに憤慨する。
そんなことの先に、何の平等があるのでしょうか?

(続く)

男女平等は、正々堂々と語られなければならない

冒頭にも申し上げた通り、ジェンダー論や男女差別といった問題は、近年さまざまなメディアで取り上げられ、有識者が声を上げていることで、キャッチーな要素となりつつあります。

この広告も、もし全てが真実であったなら、とても秀逸なものだと思います。

ですが、事実を正しく伝えず、広告媒体の要素としてのみ「男女平等」が使われる先にあるのは、新たな差別意識、懐疑心、信頼の欠損といったものではないでしょうか?

今までの歴史で、女性が男性からそうしたものを受け続けてきたのだとしても、だからと言って同じような小狡い手法で勝利を勝ち取って、いったいその先にどんな「平等」があるというのでしょうか?

いつか、ああようやく平等な世の中になった、と思える時が来た時に、何ら後ろめたさのないことが理想ではないでしょうか?

この広告は、望ましくないサンプルとして記憶に留めたく思います。