「サイレント・マイノリティ」は、マイノリティ?それともマジョリティ?
■■■ 宣言 ■■■
このコラムには「ノイジー・マイノリティ」と「サイレント・マジョリティ」という2語の用語が出てきます。
これらの2語は、ここの一連の文章においては、それぞれ通常の「マイノリティ」「マジョリティ」と区別するために使用しており、それぞれのグループに属する人間を揶揄する意図は無いことをあらかじめ宣誓しておきます。
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以前のコラムでも取り上げましたが、「マイノリティ」という言葉は、しばしばその境界が曖昧になることがあります。
一つの例として、昨今話題になった、車椅子のコラムニスト・伊是名夏子さんのお話を引用してみます。
JRの無人駅での出来事に関連しての発言ですが、ここではあの出来事そのものに関する是非は言及しません。
引用は、彼女があの事由のあとに、メディアのインタビューに答えたお話からです。
■引用#1
メディアからの「批判する人の中には、同じ車いす利用者や障害を持つ人もいましたが?」という質問への回答:
”それが一番ショックでした。「自分たちは段取りよくやっているのに、あなたはわがまま」などの指摘がありました。
障害者がまだ生きやすくなったのは、私たちの「先輩」に当たる障害者の方たちが、時に座り込みまでして訴えてくれたからです。その結果、電車にも乗れるようになりました。そういう歴史を私は知っています。
不便さに慣れ、「わきまえる障害者」でいる人は我慢しなくていいんです。一緒に社会の理不尽さに異議を唱える「仲間」になってくれたらうれしいです。”
<引用元>
「わきまえる障害者になりたくない」JR東の対応に声上げた、車いすの伊是名夏子さん
■引用#2
別のメディアへの回答の中で、#1と同様にショックを感じた話として:
”意外とリベラルな人から理解がえられない、批判されることが多かったんですよ。「私は普段平和活動しています」「LGBTQには理解があります」という人から、「このやり方は間違っているよね」「かえって障がい者が反感を買うよね」と言われたのが多かったです。社会を本当によくしていきたいと皆が思っていて、頑張っているのだけれども、あまりに疲れてしまって「マイノリティが特権を持ちすぎだ」と思ってしまうのかもしれません。”
<引用元>
「便利なものを増やして皆で幸せになりたい」伊是名夏子さんに聞く
念のため申し上げますが、騒動の詳細についてどうこう、という話ではありません。
ここで取り上げたいのは、彼女の意見の中で「マイノリティ」というものがどう扱われているのか、という一点の考察です。
そもそも「マイノリティグループ」とは、欧米では人種や民族、宗教などにおける少数派の人々を指して使われることが多いそうですが、日本ではマイノリティ、と略された上で「社会的弱者」というニュアンスで使われることが多い印象です。
そのケースとして、まず「障碍者」というグループがマイノリティであるとします。
伊是名さんはその「障碍者グループ」に属しています。
ではその上で、引用#1に注目してみます。
彼女はその「障碍者グループ」の中で、自分に相反する意見を持つ人間がいることに驚きをおぼえ、「私たちの『仲間』にならないか?」と呼びかけています。
つまり現時点では、
伊是名さんに賛同していない障碍者は、彼女は『仲間』として認めていない、ということになります。
ここで、最初に宣言した「ノイジー・マイノリティ」という言葉を使わせていただきます。
伊是名さんは「わきまえる障碍者にはなりたくない」と仰られているので、きっちりと物を言うマイノリティとして、彼女および彼女の賛同者は「ノイジー・マイノリティ」として差し支えないと解釈しておきます。
…となると?
彼女の仲間ではない、彼女の行動を批判した障碍者は、「サイレント・マジョリティ」になるのでしょうか?
あらためて並べて書いてみると、
①障碍者というマイノリティグループ
→①-a:障碍者の中のノイジー・マイノリティ(伊是名さん賛同派)
→①-b:障碍者の中のサイレント・マジョリティ?(伊是名さん反対派)
といった感じに、あるマイノリティグループの中で、ノイジー・マイノリティに賛同出来ない人というのは、サイレント・マジョリティとしてノイジー・マイノリティの人達から責められなければならないのでしょうか?
ですが、その人達も「障碍者」というマイノリティグループの一員であることは間違いありません。
そうなると、どうやらマイノリティグループというのは、現実としてはその中でも枝分かれしていると考える方が自然です。
実際にはグルーピングの用語としては存在しないそうなのですけれども、現行に不満を抱かないマイノリティ、ということで、
「サイレント・マイノリティ」という呼び名をbのグループに当てておきます。
①障碍者というマイノリティグループ
→①-a:障碍者の中のノイジー・マイノリティ(伊是名さん賛同派)
→①-b:障碍者の中のサイレント・マイノリティ(伊是名さん反対派:「物言わぬ少数派」)
さて。
ここで、引用#2の文章をもう一度見てみます。
”意外とリベラルな人から理解がえられない、批判されることが多かったんですよ。「私は普段平和活動しています」「LGBTQには理解があります」という人から、「このやり方は間違っているよね」「かえって障がい者が反感を買うよね」と言われたのが多かったです。社会を本当によくしていきたいと皆が思っていて、頑張っているのだけれども、あまりに疲れてしまって「マイノリティが特権を持ちすぎだ」と思ってしまうのかもしれません。”
この赤字の部分なのですが。
ここで出てくる「マイノリティ」というのは、はたして、
どのグループを指している言葉なのでしょうか?
おそらく、
「①障碍者というマイノリティグループ」全体だとする人と、いやそうではなく
「①-a:障碍者の中のノイジー・マイノリティ」だけを指すのでは、という人とに、解釈が分かれるのではないでしょうか。
伊是名さんが実際にどのような意図で仰られているのかは、彼女自身にしか分からないでしょう。
前後の文章からすれば、障碍者だけではない、さらに広いカテゴリーのマイノリティの方々も含めているとも解釈できます。
ここで提言したいのは、このように
「どこまでの範囲を指すのか解釈が分かれがちなものに、マイノリティという言葉を使うのはふさわしくないのでは?」という疑問です。
例えば、もし「①障碍者というマイノリティグループ」全体のことであると周囲に解釈されてしまうと、「①-b:障碍者の中のサイレント・マイノリティ」の人達の中には、少なからず不快感をおぼえる人がいるのでは?、という懸念です。
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マイノリティ、という言葉は、十分に気をつけて使うべき言葉なのでは、という問題提起をした上で、もう少しフェミニズムの話に近い例で考えてみます。
(続く)
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※「障碍」の表記については、コラム内では「障碍」で統一を心がけておりますが、引用部分については元の文章の表現をそのまま反映しております。ご了承ください。
大きすぎない主語を使うには
先のコラム「「マイノリティ」とは何か?①~特定の立場をマイノリティと呼ぶことの限界」の中で、
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望まずに仕方なく専業主婦でいる人 → マイノリティ(弱者)
望んで専業主婦でおり現状に不満の無い人 → マジョリティ(強者)
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という定義が成り立つのでは、という話をしましたが、これを先ほどの「サイレント・マイノリティ」の理屈に置き換えてみると、
②専業主婦というマイノリティグループ
→②-a:専業主婦の中のノイジー・マイノリティ(望まずに専業主婦でいる人)
→②-b:専業主婦の中のサイレント・マイノリティ(望んで専業主婦でいる人)
という形になります。
この場合でも、もし②-aの論者が、
「我々は社会におけるマイノリティとして、非常に歯がゆい毎日を送っている」
といった論調で話すと、②-bのグループに属する人の中には、
「いや、自分もそこに入れられるのはちょっと…」
と、モヤモヤとした思いを感じる人もいるでしょう。
SNSでも「主語が大きすぎる」と指摘される書き込みが議論を生むことがあります。
よく取り沙汰されるのは、「男性は」「女性は」というものが多いですが、「マイノリティ」「マジョリティ」も、やはりその表す範囲が曖昧なまま使われている印象を、少なからず受けます。
さらに、サイレント・マイノリティに該当する人は、ノイジー・マイノリティのグループから、
「なぜあなた達は声を上げないのか。同じマイノリティだというのに?」
という圧力を受けがちです。
特にフェミニズムの視点からですと、「女性そのもの」「女性全体」が、弱い立場の人間であるとしてマイノリティとして扱われることも多々ありますので、
③女性という、現状の社会におけるマイノリティグループ
→③-a:女性の中のノイジー・マイノリティ(現状の社会に不満がある人)
→③-b:女性の中のサイレント・マイノリティ(現状の社会に不満がない人)
という非常に大きなグループとして分けられた時に、③-bに属する人達が「名誉男性」などといった呼称をつけられて、同じ女性から非難されるといったことも実際に起きています。
<関連記事>
「名誉男性」という現在の”魔女”認定
マイノリティを称するグループにいる人たちは、しばしば自分たちが少数であるがゆえに、そこにいる全員が同じ意識を持って結束している、と思いがちです。
ですが、人間は「3人集まれば派閥ができる」などと言われる通り、どんなに少数でもそこには多様な考えを持った人々がいます。
マイノリティ、という主語は、必ずしも小さなものではない、という意識を忘れないようにしたいものです。
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主語を大きくし過ぎないためにはどうすべきか?と言えば、実はとても単純なことで、
「その主語が示す範囲がどこからどこまでなのかを、自分の言葉で説明できること」
であり、さらに言うならば、
「その主語を使う発言に、きちんと責任を持つこと」
に尽きるのではないでしょうか。
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では最後に、「サイレント・マイノリティ」の人たちにもう少しだけ着目してみます。
(続く)
サイレント・マイノリティには逃げ場がない
先ほどのマイノリティに関する例をもう一度挙げてみます。
■ある社会におけるマイノリティグループ
→a:ノイジー・マイノリティ(現状の社会に不満がある人)
→b:サイレント・マイノリティ(現状の社会に不満がない人)
「ある社会」という部分を、例えば会社、組織、学校、クラスルーム、部活動、サークル、SNSのグループなどに置き換えて思い出してみてください。
こうした構造の中で、「サイレント・マイノリティ」に自らが属してしまい、困った思いや、苦い経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。
「サイレント・マイノリティ」の厳しいところは、あくまで大元はマイノリティグループに属しているので、そこからは基本的に逃げられないという点です。
この状況では2択しかありません。サイレント・マイノリティのままで耐えるか、ノイジー・マイノリティに加わるか、です。
さらに言えば、マイノリティというグループから出て、マジョリティに転向するという究極の選択肢もありますが、その場合のほとんどは、二度とこのマイノリティグループに戻ってくることは叶わないでしょう。
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ノイジー・マイノリティ(a)に見られる傾向として、
「声を挙げないのはネガティブなこと。ネガティブとはすなわち悪いこと」
と捉えて、先ほども述べたように、
「なぜ貴方たちは声を挙げないのか?」
と、サイレント・マイノリティ(b)に、何ら悪意なく問いかけてくることがあります。
一方のbは、なぜ声を挙げないのか、と言われても、
「声を挙げる理由が無いから」
という以上の理由を持っていない人がほとんどでしょう。
ですが、実際にはさらに畳み掛けるように、
「現状に満足しているのは、よくないことだ」
「現状に幸せを感じているのは、前に進む勇気が無いからだ」
といったaからの問いかけに、たとえどう真摯に答えても、aからは言い訳だとしか捉えられずに追い詰められてゆく人を、SNSでは何度も見かけました。
物を言わない、というのは、「物を言わない」という一つの意見です。
声を挙げない、というのは、「声を挙げない」という一つの主張なのです。
マイノリティとは、「社会的弱者」であるはずです。
さまざまな声を拾い上げるのを使命だと考えるのならば、「物言わぬ声」もまた、マイノリティの中に存在するさらなるマイノリティなのだと捉えて、安易に自分たちと相対するものだと見るのではなく、それも一つの意見として尊重する思いやりを、どうか持っていただきたいと願います。
(了)