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「ミソジニスト」は蔑称なのか?

update:2021-05-12

「ミソジニスト」は蔑称ではない

今回は別の記事を用意しようと思っていたのですが、Twitterで「#ミソジニストども」というタグが注目されているのを見て、少々看過し難く思われましたので、そちらをまとめてみました。

ミソジニストども、という言い方および多くの論調からして、これは「ミソジニスト」という言葉を

「女性を馬鹿にしている男性」

と捉えていると認識していますが、これはネットスラングとして蔑称のような解釈をされたもので、本来の意味合いとは異なるものです。

詳細は後述しますが、実は女性のミソジニストもいるのです。

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いくつかの出典に基づくと、ミソジニストの由来である「ミソジニー」とは、

「女性および女性らしさに対する嫌悪や軽視、あるいは偏見」

と解釈されています。

<参考>
https://en.wikipedia.org/wiki/Misogyny

「軽視あるいは偏見」とある通り、ミソジニストの男性の中には女性を自分より劣る存在だと考え、暴力やセクシャルハラスメントを行なうことに罪悪を感じない、という人もいます。

ですが、同じ男性であっても状況の異なる人もいます。
幼い頃の虐待や、女性側からのセクハラ、パワハラによって、自らの意図ではなく女性を嫌悪するようになってしまった人です。

単に女性を遠ざけるだけであれば、女性恐怖症(gynophobia(ガイノフォビア))といったものが該当しますが、厄介なのは、本来は別に女性を嫌う要素が無かった人も、女性への恐怖を断ち切るために「自分は女性よりも勝っている」と思い込むことでミソジニストに転じてしまうこともあるようです。

つまり、ミソジニストは自ら主義や主張として明確に認識している人もいれば、心の病のように治したいと思いつつも抱えたまま生きている人、言ってみれば、望まずにミソジニストでいる人も存在する、ということです。

<参考>
https://en.wikipedia.org/wiki/Gynophobia

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そして前述の通り、ミソジニストは女性でもいます。

女性としての仕草、振る舞い、身体つき、言動など、「女性らしさ」を強要されることに対して嫌悪を抱き、女性であることに価値を見いだせない、といった人です。

英国出身の女優ジャミーラ・ジャミルさんは、フェミニストであることを公表していますが、過去に自身がミソジニストであったと告白して話題になりました。
女性であっても、自らが女性であることにアイデンティティを持てずに悩む人もいるということです。

<参考>
女性のなかにも女性差別はある~ジャミーラ・ジャミル、過去に女性差別主義者だったと告白

差別主義者、とまではいかなくとも、

「女性らしさとは何か」
「男性らしさとは何か」

と考えた時に、自らの性別に煩わしさを感じたことがある人は、少なからずいるのではないでしょうか?

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さて、ここまでミソジニストを見てきましたので、次に男性嫌悪たる「ミサンドリスト」について調べてみたのですが、ミソジニストとはちょっとだけ異なる事情がある、ということを知りました。

(続く)

ミサンドリストの男性はいない??

というわけで「ミサンドリー」について調べてみたところ、

「男性に対して嫌悪、軽蔑、憎悪を感じること」

という辺りは、特にミソジニーと変わらないのですが、ミサンドリーはミソジニーと必ずしも対称なものではない、という論調があるようです。

そもそもなのですが、先ほど「男性らしさという概念に疑問を抱く男性もいるのでは」と申し上げたものの、どう調べても「男性のミサンドリスト」という存在が出てこないのです。

この辺りは、ミサンドリーがフェミニズムと密接な関係にあると考えられている点に答えを見つけました。

社会学者のアラン・G・ジョンソン氏の言葉を引用すると、

「(ミサンドリストに対する)『男性嫌悪だ』という非難は、フェミニストを貶めるため、また、男性に注目を集めるために利用され、男性中心社会の文化をより強固なものとしている」

と論じ、この男性社会の文化に対しては、ミソジニーに該当するような思想は介在せず、

「個人としての男性と、支配的で特権的なカテゴリーにいる男性とが混同される」

とした上で、

「女性の抑圧、男性が持つ特権、そしてその両方を男性が強制しているという現実を考えれば、すべての女性が男性を恨み憎悪する瞬間があっても不思議ではない」

という推測を行なっています。

つまり、ミサンドリーとは「性別としての男性」を嫌う、といった単純なものではなく、「男性社会と位置づけられる、現代の社会構造そのものに対して嫌悪を抱く」といった、よりスケールの大きなものだと捉えられているようです。

そうした視点で見ると、「男性社会にいる男性が、ミサンドリストなわけがないだろう」という結論に達するので、「男性のミサンドリストはいない」という解釈に結びつくのかも、と悟りました。

<参考>
https://en.wikipedia.org/wiki/Misandry#Asymmetry_with_misogyny

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なんとなく、ミサンドリストの方が偏向的な意味合いが強いようにも見えてしまいますが、実際にはもっとミクロな意味での男性嫌悪も存在するはずですので、ここではいったん同列なものとして扱っておきます。

では、これらを踏まえて、「ミソジニストども」という呼びかけについて考察して参りましょう。

(続く)

主義主張を表す言葉を蔑称に用いる危うさ

こうして見てみると、「ミソジニスト」も「ミサンドリスト」も、それなりの思想が介在した上で、そう自称している人がいる、ということが分かります。

それはつまり、フェミニストとて同様だということです。

「このミソジニストどもが!」

と言葉を投げかけるならば、

「このミサンドリストどもが!」
「このフェミニストどもが!」

と言われても仕方のないこと、となってしまいます。
これでは本当に、ただの子供のケンカです。

それぞれに、それぞれのイデオロギーがあるのです。
各自の持つ正義が決して相容れないとしても、イデオロギーを表す言葉を蔑称として使うことは、明確な相手への攻撃であり、同様の報復を受けても何ら言い訳などつかないことでしょう。

身内の溜飲を下げるだけの行為など、相手からしたら幼稚な行ないにしか見えず、嘲笑を受け、ああ連中は議論をする気が無いのだな、と呆れられるだけです。

内ではなく、外を見ましょう。
仲間を喜ばせることに注力せず、世界に議論をぶつけましょう。

フェミニストであることに、しっかりと誇りを持って下さい。

(了)